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Cross-border Inspiration
心の琴線を奏でる何かが与えてくれる、信じてみたい気持ちを。超越国境的感動。

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■ ボーディング・ブリッジ
2007年09月10日 (月) 編集 |
深夜に帰国する。

東京上空を旋回し、滑走路に着地。
機体はゆっくりとターミナルに近づき、やがて停止する。

シートベルト着用のサインが消えてから席を立つように言われる時間帯。
少しでも早く席を立とうとするいつものような流行る気持ちは今回は特にない。
心地良い疲れの中、機内の窓から外を眺めてみる。

焦点は定まらないまま、
ボーディング・ブリッジが何となく視界に入る。

先頭で深々と礼をする空港業務員。


誰が見ているわけでもなく、特に必要とされているわけでもない。

けれども、世界でただ日本だけ、
深々とお辞儀をして、礼を尽くす心があることを、
そしてその心を感じられる心が自分にあることを、
幸せに感じて席を立った。


ただいま、日本。
# | 2007/09/10 00:02 | 日本 | Comment (0) Trackback (0) |

■ 過去と未来も現在にある
2007年07月29日 (日) 編集 |
過去を省みよ、今を生きろ、未来を拓け、
大人は皆矛盾したことを言うと思っていた。

しかし、最近、漸く本質が掴めてきた。これは矛盾せず全て正しいと確信している。
全て現在、この一瞬において過去も未来も体現することであり、全てはこの今にあるという解釈に至ったからである。
友人との対話でこうした解釈が閃きの如くできるようになった。

我々の感じる過去は、その時その時の”今”によって違う。
3年前には7年前の出来事をどん底と思っていたのに、現在では良い体験だった捉えていること。

また、我々の感じる”今”はその時その時に描く未来によって違う。
未来に希望を持てば今が明るく感じられるが、絶望すれば広がりが制限されること。


翻って、物理学では、時間の相対化は光を基準にしているという理論がある。
これが相対性理論であり、光の速さを越える速度があると時間の壁を超越できるというのがドラえもんのタイムマシンを創っている。

更にもうひとつ、物理学から。量子力学という考え方をさらってみる。
海を見てみる。海水は物質であり、波はその状態である。
しかし、物事を原子より小さくしていくと物質と状態が区別できない。
物質を極小化した量子という単位では、量子が止まっているときには量子は粒であり、動いているときは波であるという考え方になる。
一点にあるという性質でありながら、広く偏在するという性質でもあるということ。
ミクロの世界ではサッカーボールが壁を通り越してどちらにもあるような不思議な状況があると入門書は説いている。

このふたつの物理学の理論からは、過去、現在、未来がこの今に収斂するという感覚を整理することを支えてくれる。
必ずしも正しい理解かは分からないが、何か感覚が肉付けされているような気分になり、より思索の泉が湧き出してくる。


物事は無限に偏在していて、無限に繋がっていて、それを捉える人間の思索は時間軸を超えられるものであるのではないか。
人間の思索や志は何かミクロの粒のようであり、それいて大きな波のようであり、時間を超えて繋げているようなイメージ。

全ての事象、見方の”粒”が偏在することを認め、そこで、どうありたいかを選択するのが”今”の瞬間であり、
これが過去と未来の姿も決める”波”なのではないか。


私を知る方々へ。
昨年の秋に、自ら興した事業を整理せざるをえなくなったことをお伝えしたいと思う。

意気揚々と、努力淡々と道を拓くつもりであり、兆しも見えていたこともあったが、事情があり道半ばで決断をせざるを得なかった。
多くの信用が留保され、絶断され、悲しさと悔しさ、表現できない負の感情があった。

しかし、変わらない、寧ろ以前より深く信用、そして信頼の目を持って見守って下さる存在と、筆舌に尽くし難い正の感情を呼び起こしていただいた。
全ての世の中に偏在する事象からありのままを感謝することを体感し(望む事象と望まない事象は自らフィルタをかけているという真実に気が付き)、少しだけ、大人の言ってきたことが分かるようになった。


以利通人(利を以って人を通ず)、アジアと日本を結ぶという志念があり、今が流れている。
アジアの大手上場企業への日本の機関投資家の投資を促進させる仕事に、昨年末から某企業で取り組んでいる。
過去と未来が繋がっている今を毎日見て仕事ができるようになった。

ありがとうございます。


追記:
株式市場における企業の株価はひょっとすると上記のメタファー、また、まさにその本質そのものではないかと思う。
トップダウン、ボトムアップ、様々な切り口で偏在する情報。

株価は、数ある物事の一面をもって唯一の排他的な事実のように認めているように見えるが、そこにはそうさせるだけの選択が行われているからであり、決して物事が一面しかないことではない。
経営者の意思、株主の意思、従業員の意思の選択が絡み合って株価を収斂しているということ。

ありふれた結論でも、腑に落ちると見方が随分と変わる。
# | 2007/07/29 23:19 | 日本 | Comment (0) Trackback (0) |

■ タイムラグ
2007年06月03日 (日) 編集 |
柏餅が好きだった。
学校から寄り道をしながら帰宅すると、弟が待っていた。
ランドセルを下ろし、待たせたと少し悪びれながら、
濃い目に淹れた熱い緑茶に、粒餡の柏餅を頬張る。

スナック菓子とジュースが全盛だったあの頃、
両親はそれなりに気を遣って、
黙って教えてくれたことがあったと、
積年の遅延を経て気付くことがある。


餅を包むこの”柏の葉”はどこに生えているのか。
誰も知らずにいた。
いつか分かる日が来ると思い続けて時は過ぎ去る。

今日がその日だった。
四半世紀経って、鎌倉の鶴岡八幡宮の片隅で。


因果応報を信じてみても、
信じるに値するか不安になることは少なくない。

しかし、作用と反作用、
物理学の法則は真実であり、
自らの言動への何らかの結論は、
きっといずれ自らに訪れるらしい。

それが真に得心できれば、
言動に集中できて、
結論の不安から開放されるに違いない。


ただし、時間軸の測り方は、
それほどシンプルではないらしく、
まるで人間を試すようにできていることを識る必要があろう。

もしくは、因果応報の時間軸は、
オーダーメイドされていて、
無心で受け入れる覚悟ができれば、
個々の果実が現れることに気が付くようになっているのかもしれない。

オーダーメイドとは。
上記の出来事で振り返ってみる。
親の気遣いは子がまたその子を育てる意識を持つようになり初めて伝わる。
柏の樹は、関西以南では植生しない。よって関西で育った自分には柏の葉に出会う機会は限られており、上京して居を関東に構え過ごす日々があったことで漸く出会いを体現する。

また、無心で受け入れるということ。
悪い言動の結果は希望しなくとも訪れる。
良い言動の結果は希望していても訪れない。

このように感じるのは、
悪い言動の結果には無心の状態であり、
良い言動の結果には無心の状態ではないから。

良い言動の結論も必ず現れる、
無心でいれば、必要な時間熟成された果実が、
あるときふと目の前に現れる。


200706031206000.jpg

# | 2007/06/03 22:54 | 日本 | Comment (2) Trackback (0) |

■ 信念と謙虚と傲慢
2007年05月26日 (土) 編集 |
勝負を賭ける一週間というのは年に何度かあるが、
ひと段落させた土曜日の疲労は心地良くもあり、
興奮冷めやらぬこともあり。

それでも睡眠はいくらあっても満ち足りず、
起き上がるのは本当に苦労する。

ベッドに後ろ髪を引かれながら、
湯舟に湯を張り、
読みたい本を選びながら目を覚ます。


今日はギリシア神話を選んでみた。

時折、たまたま手に取った書が、
不思議に自分の人生の現状を投影しているような経験をする。

書が自分を選んだのか、
自分が書から自らに関連する情報に反応するのか、
いずれにせよ、神秘的な感覚さえするひとときである。


オデュッセウスは、ギリシア側の戦士としてトロイア戦争に参戦した。
勇猛に戦い勝利を収めたのだが、
帰路漂流し、故郷のイタカに戻るまで20年を費やしてしまう。

道中にはありとあらゆる苦難が待ち受けていた。
自らの知恵と力を信じ、苦境を切り抜けてきた。
策を練って海の神ポセイドンの子さえも封じた。
しかし、難関は絶えることなくやって来る。

ある時に、大時化(しけ)の海原で、
いつも通り、これくらい俺には乗り越えられると信じて彼は蠢く。

ポセイドンが現れる。
知恵と力によって神も欺く傲慢さを告げられ、
オデュッセウスは初めて自らが生きていることへの感謝と畏れを識る。

そして、オデュッセウスは漸く故郷に帰ることができた。


信念はあったほうがよい。
何かを成し遂げたい志がない毎日は漠としていて、
矢を射ることのない弓のような、弦がたるんでいるようなものかもしれない。

けれども、
人智を超えた存在への感謝と畏れがなくなる傲慢は、
絶対にあってはならない。

そうした自分がどこかにいなかったか。

苦難が尽きないと自嘲した10年、
忘れてきたことはなかったか。

幼稚園の帰り道にでこぼこ砂利道を通り、
母親と地蔵に手を合わせていた小さな頃の、
喜怒哀楽がバランスした謙虚な気分を思い出した。
# | 2007/05/26 22:54 | ギリシア | Comment (0) Trackback (1) |

■ 蔦と樹と、天と地と。
2007年05月04日 (金) 編集 |
蔦は天を見る力が強い。

巨木に連なり、
しなやかな弦を広げ、
葉は光を蓄え、
やがて頂上をいただく。

手を携える支柱がなければ、
自らの力では、先に進むことはできない。
ただし、隣の巨木に弦は伸びてその命を繋ぐことができる。
そして、花を咲かせても、実を大地に届けられることは多くはない。

一方で、根を張る勇気を持てば、
大地と呼応して、やがて果実は実り、
その種子は大地に根を張る。
しかし、根を張る場所は選べない。
大地を受け入れる覚悟があるか。


岩崎弥太郎、
その生き方に、樹の姿を垣間見る。


猛き黄金の国岩崎弥太郎 (1)


# | 2007/05/04 22:22 | 日本 | Comment (0) Trackback (0) |
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