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Cross-border Inspiration
心の琴線を奏でる何かが与えてくれる、信じてみたい気持ちを。超越国境的感動。

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■ プラハの春
2006年03月24日 (金) 編集 |
時に仕事は終わらない、
見慣れた部屋に帰って、
PCを起動。

ひたすら書類を作りこむ。
丑の刻、おそらくは誰もが眠りについている時間。

突然、PCが叫び出す。

国際電話が多くなり、SKYPEというソフトを入れて半年。
いわゆる、ネット電話、PCが端末となる。
もちろん、決まった相手との会話、
それは、本来、電話とはそういう用途のためにあるわけで。

しかし、見慣れぬ文字を表示しながら、
着信音は繰り返される。

仕方がない、
通話のアイコンをクリックする。

驚いたのは、
プラハ、チェコの首都からの電話だということ。

何でも、高校のPC室から3人の仲間で、
このソフトを使って、
東洋に電話をしてみよう、
と思い立ったらしい。

中欧訛りの英語。
しかも本当に習い始めたばかりなのだろう。
語彙がなく、発音が間違っている。
訛りは、いい。
けれども、単語が違うのは、
会話を成立させるのに苦労する。

だんだん感覚を掴んできて(間違いの単語を私が想像して埋め合わせて)、
言葉のキャッチボールができてきた。

”TOKIO(東京のこと)では英語が通じるのか”
とか他愛のないことを聞いてくる。

ところで、チェコと言えば、
日本人は何を思い浮かべるだろうか。
まあ、世界史オタクとかであれば、
ズデーデン地方、とかマニアなことを思うだろうけれど、
おそらく、
”交響詩『わが祖国』より"モルダウ"”
という、スメタナの作曲した音楽、
これならば、皆、小中学校の頃に、音楽室でレコードをかけて鑑賞し、
鑑賞の感想を書かされた、
最大公約数的な”チェコ”ではないだろうか。

”モルダウは日本人は皆知っている”
と、チェコの高校生に話しかけてみた。

会話が止まった。

しまった、と悔いた。

”モルダウは隣の国の呼び名だよ”
とブロークンな英語が帰ってきた。

そう、その通り。
モルダウはドイツ語、
本来はブルダバという、
これがチェコ語の正しい言い方。

チェコという国は、
命を懸けて、
自由を渇望した歴史がある。

モルダウは、19世紀、
オーストリアの支配下の民族運動、
民族運動なのに、自国語の言葉でないタイトル。

スメタナは、耳が聞こえない状態で、
この曲を仕上げ、
自らは一度も旋律を聴くことがなかった。
彼の心の音色が、グルグルと旋回していたのかと思うと、
午後の退屈な授業、無理に感動を拾おうとしていた、
音楽室に、グルグルと旋回していたレコードから得たものとは、
全く違う強さと哀しさが響いてくる。

20世紀、
今度は、ゲルマン民族だけではなく、
スラブ民族の影響下になる。

つまり、ソ連の庇護のもと、
厳格な独裁政権が続く。

プラハの春、
って何?
きっと、30代以下ならほとんどが知らない、
しかし、このプラハの春、
同名の小説、
一人でも多くの人が、手にとることを望んでいる。

春に向けて、春を迎えることに、
命を懸ける。

国家が安定している時代に身を置くと、
その幸せは、
意識的に確認しないと、
確実に麻痺をする。

不満もたくさんあるけれど、
この日本への信頼は、
本当に、得がたいもの。

異国に電話をしてくる、
チェコの青年達。

あなたの国は、立派だと、
突然伝えたくなった。

彼らは言った。
”ブルダバはとても美しい、みんな大好きなんだ”

大した内容もない30分だった。
結局仕事は終わらなかった。

PCを消して、
冷蔵庫にあったチェコのビールを飲んで(本当に珍しい、たまたま買っていた)、
スメタナを聴いた。

こんな日もあるものだ。


<写真:ブルダバ>
coachdriver.info.jpg



20060105233132.jpg



puraha.jpg

プラハの春


わが祖国*交響詩
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# | 2006/03/24 19:58 | チェコ | Comment (0) Trackback (0) |
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