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Cross-border Inspiration
心の琴線を奏でる何かが与えてくれる、信じてみたい気持ちを。超越国境的感動。

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■ 最後の晩餐まで
2006年03月10日 (金) 編集 |
何年か前。
土曜日の夕暮れ、トマトを手にしていた。
縦にしようか、横にしようか、少しだけ迷いながら、結局いつも通り包丁を縦に入れる。

「ねえ、これから死ぬまで、何回夕食を食べるか考えたことある?」
彼女は尋ねた。
月曜日から木曜日までは、仕事の合間を縫って一人で”栄養を詰め込む”。
金曜日は止め処も無く酒と戯れる。
土曜日と日曜日に関しては、”仕事をしなければ”漸く、きちんとした夕食を取る。

「ああ。」
適当な返事しかしなかった。

女性の発する言葉は時として、男性のそれでは決して見つからない、
思いつきのようでいて本質的な、えぐるような強さを持っていることがある。

薄々気付いていても、触れないで素通りするような卑怯なところ、
そう、なんて卑怯なんだろう。


こういう些細な映像が、ふと、蘇ることがある。
計算を始めた。

80歳まで生きるとすると、残っている回数は大体、
30歳なら、1.8万回。
40歳なら、1.4万回。
50歳なら、1万回。
60歳なら、7,300回。
70歳なら、3,600回。

あと何ヶ月か、考えてみる。
30歳なら、608月。
40歳なら、487月。
50歳なら、365月。
60歳なら、243月。
70歳なら、122月。


ただただ、食物を貪る、栄養を採る、
そうした意味を遥かに超えた、夕食。

最後の晩餐は、あっという間なんだと、
分かったような口を聞かれたが、
至極本質的で、逃げられない事実だった。


一人になると分かる。
一人にならないと分からない。
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# | 2006/03/10 01:20 | 日本 | Comment (0) Trackback (0) |
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