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Cross-border Inspiration
心の琴線を奏でる何かが与えてくれる、信じてみたい気持ちを。超越国境的感動。

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■ 鎮魂のためにできること 次世代のためにできること
2005年10月18日 (火) 編集 |
1944年、フィリピンセブ島で戦死。祖父は眠りは漸く深くなる頃だが。

首相の靖国神社訪問が中国、韓国の猛反発を受けている。
尊厳がぶつかり合うので、感情の高ぶりもみられるデリケートな問題だが、このこと、敢えて考えてみる。このblogを見ている両国の友人もいるようなのでそして、大切な魂(一義的に私にとって祖父への思いを指す)を”論点”として扱い続けるのは何か不甲斐なさを感じるので。


首相の述べた通り、心の問題の範疇に属することと私も思う。
しかし、なぜ、ここまで執拗な抗議を受けるのか。

課題が深刻化する中で、きちんと向き合ってきたか。
戦後60年、近隣国を見据えた外交をしっかりやってきたのか。
どう日本が伝えられているか真剣に心を配ったことがあるのか。


アナロジーになるのか分からないが、ふと最近私生活で体験したことを思い出した。


先日、中国の友人とメッセンジャーでチャットをしていた(英語と中国語のチャンポンで)。
中国には民族ごとの戸籍があるようで(漢族、蒙古族、朝鮮族、苗族、といった具合に)、その友人は満族(東北部、満州周辺に起源を持つツングース系民族)戸籍者だった。

満族の文化の話になって、何かの流れでふと、「満族は戦争に強い民族だね」と入力。

すると、「どうしてそう思うの」「好戦的ではないよ」「戦争は嫌いだ」と、凄い勢いで返答が来た。

結構焦った。○○人は、という話は分かりやすいのだが、トピックを選んで使わないといけない。そして、外国人とは情報蓄積の前提条件にやはり違いがあることと、他言語はどうしても微妙なニュアンスを漏らしてしまい意図しない誤解を招く可能性があると痛感。


一生懸命、相手から伝わってきたマズい空気を修正した。
「好戦的だという意味ではない、満族の文化的なことについて知りたかっただけ」
として、論点を変えた。

「どの民族にも関係なく、人々には光と闇の心がある」
「どの民族も拡張の野心があり、守らなければならない家族もある」
「それぞれ闇を持っていることを理解した上で、矮小な民族主義を超えて互いの光の部分を引き出すのが、できる人にはできるし、できない人にはできない。接点がある人はできる環境にある人。だから先鞭を作って周りに広めよう」

と結んだ。教科書的と言えなくもないが、これは本心であり、言霊を込めて伝えた。何とか真意は伝わったらしく、話題は平穏な方向へ戻っていった。誤解が残らないように別の友人から後日フォローもしてもらった。貴重な友人を意に反して無くすのは御免なので。


なぜこのような思考(”満族”=”戦争の得意な民族”)が浮かんだか。
潜在意識がそうさせたらしい。
中国史の中での清朝の成り立ちのインパクトが強く、教科書、物語、映画などで私が吸収したイメージがそうさせたようだ。
清朝が興されるとき、少数民族である満族は漢族の明王朝を、僅かな兵で倒している。
”満族八旗”。山川出版の世界史用語集にも載っているはず。


この一連のやりとりで感じたこと。
1.潜在意識は恐ろしい(近隣諸国の”日本人”に対するイメージは…)
2.ミスコミュニケーションは恐ろしい(靖国や歴史問題で意図しない解釈を相手に与えていないか…)

少なからず何か件の外交に通ずるところがあるような気がした。


翻って、靖国を初めとする歴史関連の問題、どうしたら解決に近づけるのだろう。

政府に対して。
日本について、懸命に語ってくれる国家をもっと大事にして、戦略的に動いて欲しい。第三者の意見なら受け入れられることもあろう。
60年で胸を張れる外交成果はたくさんあるだろう。
日本に友好的な国家もたくさんある。
中国、韓国へ”日本”を誤解なくきちんと伝える使者にもなってくれるはず。
自ら伝えられないのなら。自ら伝えても響かないのなら。
(シンガポールのリー・クアンユー氏がコメントしたのは聞いたことがある)

そして個人として。
戦争に対する感情について、ある程度、理解されうる形でそれぞれが整理し、発信することをやらねばならない。少なくとも聞かれたら応えられるように。
・愛する人が死んで、加害者だとは決して認めたくない心情
・本当に心から理想郷創立を目指していた純粋な志
・権利を守るという言葉の持つ範囲の曖昧性
・歴史は勝者が作る、という世の常と、敗者だって誇りを持っている、という世の常
・愛する人を感謝し祭る心
・信じる受け入れられない相手がいる現実
・愛する人が死んでいる、カウンターパートナーがいる現実
・勇ましい戦士も生きるために鬼になっていたかもしれない可能性
・傲慢の中悪魔のスイッチが入った者もいたかもしれない可能性
・現在、鬼や悪魔を崇める集団を見ているかもしれない隣人の視線
・戦争は何でも起こりうるという戦争自体の罪深さ

鎮魂のための神社が魂の眠りを妨げるのは悲しいこと。
魂は道具ではない。
先輩をそっと眠らせてあげるためにも、そして我々や次の世代のためにもやれることはたくさんある。国が国がと言う前にできること。

そして、因果応報、きちんとやらないと大変なことになる、くらいの危機感も必要かもしれない。禍根の慢性化は思いもよらない爆発を引き起こすかもしれないから。


<今読んでとてもインスピレーションを受けたサイト>
グロービス堀義人氏ブログ(必ずしも考え方は同じではないが、とても深く真剣に考えていらっしゃる)
中国人の友達との徹底討論(その1)靖国問題・東京裁判
(反論コメントもじっくり読む価値あり)
中国と韓国の友達へ。Dear Friends in Korea and China


<思考停止になる前に読んでみる価値のある本>

RX-7で京大に現れたという先生。何度も繰り返し読み、付箋でいっぱい。外国にも持って読んでいた本


満州開拓を描いた大作。吸い込まれる。一部描写について抗議があったらしく、8巻で休刊。光も闇も懸命に表現されている感じがする。子供のときに聞いた関東軍出身の老人の話と近い


感じる本



…また重いの書いてしまった。
じっくり時間をかけて掘り下げていくテーマではある。
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# | 2005/10/18 15:41 | 日本 | Comment (0) Trackback (0) |
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