Top | RSS | Admin
Cross-border Inspiration
心の琴線を奏でる何かが与えてくれる、信じてみたい気持ちを。超越国境的感動。

■ スポンサーサイト
--年--月--日 (--) 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
# | --/--/-- --:-- | スポンサー広告 | |

■ 腹は、黒い
2006年10月31日 (火) 編集 |
前話”バリア”の友人が、
一人のリーダーを紹介してくれた。


一昔前の学生ベンチャーの旗手、
喜怒哀楽を経て、
笑顔に落ち着いている。

腹は、黒い。
心は、清い。


腹が決まる 腹かく 腹が空く 腹が据わる 腹が立つ 腹ができる 腹が無い 腹が煮える 腹が張る 腹が脹れる 腹が太い 腹が減る 腹に一物 腹に収める 腹に落ちる 腹に据え兼ねる 腹に持つ 腹の探り合い 腹の虫が治まらない 腹を合わす 腹を痛める 腹を癒す 腹を居る 腹を抉る 腹を抱える 腹を決める 腹を切る 腹を括る 腹を下す 腹を拵える 腹を肥やす 腹を壊す 腹を探る 腹を据える 腹を立てる 腹を読む 腹を縒る 腹を割る


参考:慣用句辞典
スポンサーサイト
# | 2006/10/31 22:54 | 日本 | Comment (0) Trackback (0) |

■ バリア
2006年10月30日 (月) 編集 |
友人が仕事の相談にやってきた。
知見のある分野だったので、適格に対応できたが、
真摯に応じる中、つい、厳しい口調で相手の準備不足や理解不足を指摘していた。

別れてから1時間後、留守番電話に吹き込んだ。
「ちょっと言い方が厳しかったと思う、ごめんなさい。」

彼は、大きな人間だ。
自分にバリアを張らない。

自分にバリアを張ると。
相手の言動に強く反発してしまう。自分を守るために。
時に自分を過度に正当化してしまう。自分を守るために。

猛烈に自分を創る経験があると、一般的にはバリアも強くなる。
個を確立するのと、バリアを張るのは方向としては同じベクトルかもしれない。

ところが彼は、バリアを張らない。
それは彼が自分自身の責務をきちんと果たして結果を出してきたことと矛盾しない。

留守番電話の折り返しは、
やはり大きな人間らしい温かいものだった。

バリアを張らない勇気、
それを自然体で実現している彼の器が自分になくても、
せめて勇気は備えたい。


Leadership And Self-Deception: Getting Out Of The Box
leaders.jpg

# | 2006/10/30 10:33 | アメリカ | Comment (0) Trackback (0) |

■ 親知らずに教えてもらう
2006年10月22日 (日) 編集 |
虫歯はほとんどなかった子供時代。
高をくくっていたのがまずかった。

久し振りの歯科検診で知ったこと。
虫歯に蝕まれる、親知らずが暴れている。

親知らず。
もう母親は60代だが、親知らずというくらいだから、
昔なら親がいなくなっている平均的な世代か、
など思いを巡らしながら…。
左下、右下を相次いで抜歯した。

不思議なことに、抜歯後の左右の痛みが全く違う。
左は神経が抉られたような感覚が続く。
後から手がけた右は痒いような痛み。

今まで親知らずを抜いた後に仕事を休む人を見て、
何となく冷たい目で見ていた自分を反省した。

同じ人間でもこれほど痛みにばらつきがある。
他人の痛みは本人にしか分からない。

何に関しても、
他人には他人の世界、感覚があり、
過度に自分の価値観で偉そうに判断することがいかに恥ずかしいことか思い立った。

親がいなくても親みたいな存在だから、
親知らず。
# | 2006/10/22 09:14 | 日本 | Comment (0) Trackback (0) |

■ 屈託ない笑顔
2006年10月22日 (日) 編集 |
知力、行動力、そして人間力を持ち合わせる。
どれかひとつ、ふたつ持っている人はいるけれども、みっつの人はアウトスタンディング。

バングラデシュで、貧困層向けに無担保融資の銀行を創設したムハマド・ユヌス氏。
かつて彼の著書に感銘を受けたのをすっかり忘れていたが、
教育テレビでドキュメンタリー番組に遭遇し、90分吸い込まれていた。

実際に彼の見せる笑顔、明るい声。
人々の感謝。

貧困に喘ぐ村々。働けど働けど豊かにならない女性達。
経済的最下層、社会的地位最下層の人々に与信。

経済学を実学に徹して昇華する。
7年という周到な準備期間。
社会を蝕んでいた構造上の問題を現実的に解決する。
何より社会を良くしたい志念。


ムハマド・ユヌス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家


20061022085008.jpg


■ 精神論者にこそ必要な精神論
2006年10月16日 (月) 編集 |
ふと調べてみたくなった。
数年前まで動向を追っていた、イエメン出身のプロボクサー、ナジーム・ハメドのプロ戦績。

総試合数 37
勝ち 36
KO勝ち 31
敗け 1

強すぎる。
筆者は大学時代、悪友に誘われボクシングの授業に参加、体育祭にも選手として出場させられたが、アッパーを喰らい吹っ飛んでKO負けした。
この強さが尋常ではないことがよく分かる。

更に。
彼はただ滅茶苦茶に強いだけでなく、その格闘スタイルは、
”蝶のように舞い、蜂のように刺す”。
時にコメディアン、時にダンサー、とにかく観客を魅了していた。
周りは賛否両論、しかし彼は完全に自己陶酔を楽しんでいる。


一番強いのは、楽しみを見出した者。
対自己、対他者、いずれも楽しみのビジョンが感じられない苦行を強いるのは、上策のマネジメントではない。
精神論者にこそ必要な精神論。


ナジーム・ハメド(Wikipedia)
# | 2006/10/16 15:59 | イエメン | Comment (0) Trackback (0) |

■ Destiny to be a crossboader
2006年10月05日 (木) 編集 |
地動説を唱えたコペルニクス、
彼の名を冠したニコラス・コペルニクス大学。
遠く東欧、ポーランドから、突然コンタクトがあった。

何でも、SKYPE(無料通信ソフト)を使っていたら、
公開されていた私の名前を発見し…。

何と、彼の姓は私のそれと全く同じ。

ニコラス・コペルニクス大学でグラフィックデザインを修める気鋭のアーティスト。

創作活動の合間、インスピレーションが枯渇したときに、
暇潰しに、同じ名前のアジア人がいないかどうか探していたらしい。
容姿も東洋と西洋の混血。
先祖が中央アジアにルーツがあるということから、
東洋にとても興味を持っていた。

何度か会話を重ねるうちに、
些細な話題から少し深い話になった。

どうも、二人とも、
何か苦労していてもがいているという共通点があるらしい。

互いに故郷の写真を送ってみる。
私は京都、相手はポーランドのトルンという、こちらも歴史のある街。

妙に話が合ったので、
互いにbrotherと呼び始めた。

遥か昔、兄弟がいて、
一人は東、一人は西を目指して新天地に辿り着いた。

ただ偶然同じ姓だったとしても、
そういう寓話を信じたくなるような心の交流があった。

万事休すだと思うことがあっても、
自らのパラダイムが変わることで、
広大なこの世の中から叡智を見つけることができる、
叡智のほうかこちらを見つけてくれる。
そしてブレイクスルーが起こるはず。

これは、コペルニクス的転回という概念、
用語の用法を本場の人間と確認した。




Torun_ratusz.jpg

zamosc001m200.jpg

440.jpg

torun1.jpg

torun.jpg

205_2003-0195.jpg



<コペルニクス的転回(Wikipedia)>
人間の認識は外部にある対象を受け入れるものだという従来の哲学の常識に対し、カントは人間は対象そのものを認識することはできず、人間の認識が現象を構成するのだと説いた。人間の認識自体を問う近代的な認識論が成立した。
比喩的に、物事の見方が180度変わってしまうような場合にも使われる。
# | 2006/10/05 16:07 | ポーランド | Comment (0) Trackback (0) |

■ Destiny to be a crossboader
2006年10月04日 (水) 編集 |
小学校に入学して間もなく、自由勉強ノートというものを作った。
毎日何か興味を持ったことを自主的に行うという、
田舎の公立小学校にしては、先進的な宿題が出ていた。

まだ、足し算しか習っていなかったが、
6歳になったばかりの好奇心は、
1という数字から毎日、足し算を始めることにした。
最初の一日は確かに順調だったのを覚えている。

1 + 1 = 2
2 + 2 = 4
4 + 4 = 8
8 + 8 = 16
16 + 16 = 32
32 + 32 = 64
64 + 64 = 128
128 + 128 = 256
256 + 256 = 512
512 + 512 = 1,024
1,024 + 1,024 = 2,048
2,048 + 2,048 = 4,096
4,096 + 4,096 = 8,192
8,192 + 8,192 = 16,384
16,384 + 16,384 = 32,768
32,768 + 32,768 = 65,536
65,536 + 65,536 = 131,072
131,072 + 131,072 = 262,144
262,144 + 262,144 = 524,288
524,288 + 524,288 = 1,048,576

ところが、なんと20回を越えると7桁、100万を超える。
この膨張に幼いながら驚愕していた。


さて、先日、この数式は、
”先祖の数を算出する数式”であるという発見をした。

左辺の第一項、第二項はそれぞれ父方、母方の先祖の数で、
右辺は遡る世代ごとの先祖の総和になる。

つまり、20世代遡ると、自分には100万人を超える個体の血脈が継承されていることになり、計算を続けると33世代で85億人の先祖がいることが分かる。

25歳で子供が生まれると仮定すると、33世代とは825年、
1,000年も遡らないうちに現在の人類の総人口分の先祖が現れる。

人類皆兄弟というのはあながち真実から離れた大袈裟な表現ではなさそうである。


先祖はXX系のXX氏で・・・
という話も、電車の隣のあの人と紙一重で分かつことになった結果かもしれない。

出自とはそれほどの価値しかないともいえるし、逆に、自らの先祖がどこかの段階で、何らかの生活との接点・関係性を持つ姓を採択し、それを受け継いでいると考えると、神秘的な気分にさえなる。


大清帝国のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の側室、
珍妃の出自は”他他拉”氏。
tatala で私の姓の音と同一。

どこで血を分けたのか、
荒涼とした悠久の草原に思いを馳せ、

清らかな豊穣の島国に辿り着き、
営みを受け継いだ遠い昔のその一人の感動を、
昨日のように思い出してみる。


珍妃の井戸

20061004231526.jpg

# | 2006/10/04 23:42 | 中国 | Comment (0) Trackback (0) |
| Top |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。